ゴミは角に集めて捨てましょう

見聞きしたものに対しての感想を、殴り書きしていきます。

黒いゴーヤ


東宝の“日本版”「ゴジラ」、完全新作決定! - ねとらぼ

 

ほーらやっぱりやるじゃない日本版ゴジラ

ファイナルウォーズ発表の時に、製作陣の誰かが

ゴジラは”一旦”終わりです」って言ってたのを何かで聞いてて、それを周りに言ったら誰も信じてくれなかった事があったので、これで超個人的な汚名返上になりました。

 

んでこの日本版ゴジラに対する反応を見てたんですが(主にツイッター)、

どうも「日本版ゴジラは着ぐるみでやれ!」って意見があったらしく、それに反論してた人がいたんですよ。

そっくりそのままではないですけど、内容的にはこうです。

 

「『日本版ゴジラ新作は着ぐるみでやれよ!』って意見があるけれども、着ぐるみが手段じゃなくて目的になっちゃってる時点でおかしいから!農耕機使わずに千歯コキで農業するようなもんだぞ!」

 

と。

いいじゃ~ないですか~千歯コキで農業。

昔、僕も農業体験で千歯コキ使いましたよ~。

自分で刈り取った米で作ったおにぎりはそれは美味しかったんですけど、

「あ~このおにぎりウマイ!この塩加減がいいね塩塩!!あ~ウマイ!」

と、米自体に対する感想を一言も言わず、塩をメチャクチャ強調した感想を農家の方々の前で言ってました。

失礼極まりない。相撲取りのケツでも嗅ぎやがれってんだ。

 

話が大分ズレましたね。戻します。

 

え~と、先の反論で気になる点がありまして、何かというと「手段が目的になってる」という部分なんですけど、これ別におかしくないですね。全く。

昨今の映像技術の発達により、架空の巨大生物をスクリーンに映す方法は、従来の着ぐるみだけでなく、CGモデルで、ということも可能になりました。

着ぐるみという物理的制約が厳しい手法とは違い、表現の幅も大きく広がったと思います。

映像作品としての手法と考えるなら【CG>>>>>>>着ぐるみ】となるでしょう。

ですが、逆に考えてみてください。

そんな中、あえて着ぐるみという手法を取るとしたら、それは何故か。

簡単な理由を考えてみました。

 

「CGモデルを使わずに着ぐるみで特撮を撮りたい」

 

これだけです。これだけで、着ぐるみは手段ではなく目的に変わるはずです。

 

一昨年エヴァQと同時上映された「巨神兵東京に現わる」。

この作品なんかは、博物館上映版ではCGを封印し、CG一切無しで作成されています。(同時上映版は、羽、火花なんかにCGが使われてます。)

 

まぁでもこういうことは、見る側ではなく制作側がいうことだと思いますね僕なんかは。

もしゴジラの制作が「CG使わずに着ぐるみで撮りたい」って言ったら、この人どうすんでしょうね。分かったような口聞いといて大元からバッサリ否定、みたいな。